平成25年(行ケ)第10271号審決取消請求事件(平成26年11月10日判決)(※PDF ダウンロード)
「アルコール飲料の風味向上剤及び風味向上法事件」
~用語に係る実施可能要件違反に関する裁判例~
平成27年 9月30日
発明の名称 |
「アルコール飲料の風味向上剤及び風味向上法事件」 |
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事件番号 |
平成25年(行ケ)第10271号審決取消請求事件 |
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結論 |
特許無効審判請求を不成立とした審決の取消 |
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担当部 |
知財高裁第2部(裁判長裁判官 清水 節) |
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関連条文 |
平成6年改正前特許法36条4項(実施可能要件) |
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原告 |
株式会社JKスクラロースジャパン |
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被告 |
三栄源エフ・エフ・アイ株式会社 |
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経過 |
①出願(特願平07-030693) ②設定の登録(特許第3530247号) ③無効審判請求(無効2012-800145号事件) ④審決(請求不成立) ⑤同謄本送達 ⑥審決取消訴訟(平25行ケ10314) ⑦判決(審決取消) |
平成 7年 2月20日 平成16年 3月 5日 平成24年 9月 6日 平成25年 9月 4日 平成25年 9月 5日 平成25年10月 4日 平成26年11月10日 |
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本件特許発明 |
[特許請求の範囲] 【請求項1】シュクラロースからなることを特徴とするアルコール飲料の風味向上剤。 【請求項2】アルコール飲料にシュクラロースを添加することを特徴とするアルコール飲料の風味向上法。 【請求項3】アルコール飲料に含まれるエチルアルコール100部に対してシュクラロースを0.0001~2.0部添加する請求項2記載のアルコール飲料の風味向上法。 【請求項4】アルコール飲料に含まれるエチルアルコール100部に対してシュクラロースを0.001~2.0部添加する請求項2記載のアルコール飲料の風味向上法。
[発明の目的] 【0004】本発明は上記課題に鑑みなされたものであり、アルコール飲料のアルコールに起因する苦味やバーニング感を抑え、アルコールの軽やか風味を生かしたアルコール飲料の風味向上剤及び風味向上法を提供することを目的とする。 |
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取消事由 |
取消事由1:用語に係る実施可能要件違反〔平成6年改正前特許法36条4項違反〕に関する判断の誤り 取消事由2:シュクラロースの添加量及び試行錯誤に係る実施可能要件違反〔平成6年改正前特許法36条4項違反〕並びに一般化に係るサポート要件違反〔同条5項1号違反〕に関する判断の誤り 取消事由3:進歩性の欠如〔特許法29条2項違反〕に関する判断の誤り
※判決では、取消事由1及び2について判断され、取消事由3については判断されていない。 ※参考:平成6年改正前特許法36条4項 前項第三号の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。 |
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裁判所の判断の要約 |
1 取消事由1について 本件明細書によれば,本件発明の目的は,「アルコール飲料のアルコールに起因する苦味やバーニング感を抑え,アルコールの軽やか風味を生かしたアルコール飲料の風味向上剤及び風味向上法を提供すること」であるから,「バーニング感」及び「アルコールの軽やか風味」という用語の意味の明瞭性が,実施可能要件に関して問題となる。 「バーニング感」については、証拠によれば実施可能な程度に「明確」であるといえるが、「アルコールの軽やか風味」という用語の意味は,不明瞭といわざるを得ない。当業者は,本件発明の実施に当たり,「軽やか風味」については「生かしたまま」,すなわち,減殺することなく,アルコール飲料全体の風味を向上させられるか,という点を確認する必要があるところ,「軽やか風味」の意味が不明瞭である以上,上記確認は不可能であるから,本件特許の発明の詳細な説明は,「アルコールの軽やか風味」という用語に関し,実施可能性を欠くというべきである。 したがって,「アルコールの軽やか風味」の意味するところは明瞭といえる旨の本件審決の判断は,誤りである。 2 取消事由2について 「アルコールの軽やか風味」という用語の意味が不明瞭であることから,当業者において,「アルコールの軽やか風味を生かしたまま,アルコールに起因する苦味やバーニング感を抑えて,アルコール飲料の風味を向上する」ために必要なシュクラロースの添加量を決めることは不可能といわざるを得ない。 したがって,本件明細書は,添加量に関して実施可能性を欠くものといえるから,当業者は,本件明細書の記載に基づき,多種多様なアルコール飲料についてシュクラロースの添加量を決めることができるという本件審決の判断は,誤りである。
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当事者の主張・裁判所の判断 |
原告の主張 |
被告の主張 |
裁判所の判断 |
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(取消事由1-1 「バーニング感」の明瞭性) 本件審決が判断の根拠としている小学館英和辞典と、本件明細書の記載との間には,「バーニング感」という用語の解釈についての矛盾が存在する。 本件特許出願よりも前に公開された特許文献に,「バーニング感」という用語を使用したものはない。 証拠には,エチルアルコールの味覚域値について灼熱感が出てくる旨記載されているが,100年前の文献から引用したものであり,内容も個人の経験を記したものにすぎない。 被告は,「バーニング感」は,温覚受容器によってとらえられる感覚である旨主張するが,証拠と矛盾する。さらに,アルコールが温覚受容器と反応することを示す証拠はない
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証拠には、ワインについて「熱い」,エタノールについて「灼熱感」,ワインについて「熱さのある」,ワインについて「温かい」,「焼けつくような」などの記載があることから、「バーニング感」とは,①アルコールが有する,「温かい」,「熱い」,「焼ける」などという,口腔内の温度感を伴う感覚であり,温刺激を受容する温覚受容器によってとらえられるものであること,②5%程度の低濃度のアルコールにおいても生じる感覚であることは明らか。 小学館英和辞典の「burn」の項などによれば、「バーニング感」又はこれを言い換えた「焼け感」という感覚は,アルコールを飲用した者であれば誰もが感じる一般的な用語である。
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本件明細書中の「バーニング感と称される口腔内が焼け付くような感覚」,「焼け:バーニング感があるとしたパネルの数。」という記載によれば,「バーニング」は,「焼け」 と同義の用語として使われていることが明らか。 証拠に基づくと、本件特許出願当時において,アルコールの味覚を火による燃焼を連想させる言葉で表現することは,少なくともアルコールに接する者の間ではさほど珍しいことではなく,「バーニング感」及び「焼け感」は,そのような言葉の一例であったものと推認できる。 本件実験例1の結果によれば,「バーニング感」又は「焼け感」は,多くのアルコール飲料において,特段の困難を伴うことなく知覚し得る。 以上に鑑みれば,本件審決が,「バーニング感」や「焼け感」という用語は,アルコールを飲用する者であれば誰もが分かる感覚といえ,特段不明瞭な点はないと判断した点に誤りはない。 小学館英和辞典は,「burn」又は「burning」で表される感覚には,「焼け感」が含まれると解しているのは明らかであるから,本件明細書の記載との間において,「バーニング感」という用語の解釈についての矛盾は存在しない。 本件審決が,「バーニング感」が口腔内の温覚受容器によってとらえられる感覚であることを前提としているとは,解されないため,原告による温覚受容器に関する主張は採用できない。 |
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(取消事由1-2 「アルコールの軽やか風味」の明瞭性) 本件においては,「アルコールの軽やか風味」は「苦味」や「バーニング感」の抑制とは独立した評価項目に係るが,本件明細書には「アルコールの軽やか風味」の意義を説明する記載はなく,これ が生かされるという,本件発明の効果を具体的に裏付ける記載もない。 被告は「軽やか風味」を「香り」と解すると主張するが,本件明細書には,「香り」についての記載はなく,「軽やか風味」を「香り」と解することはできない。 |
「アルコールの軽やか風味」とは,エチルアルコールという単物質の有する風味を指すことは、文言自体から明らかであるため、その風味は1つである。 証拠によると、アルコールは,「エーテル様の快香」,「特有の香りと味」,「上立ち香」を有することが,当業者に経験上広く知られており,このようなアルコールの風味を「軽やか風味」と形容する。 本件明細書中の「アルコールの軽やか風味を生かしたまま,アルコールに起因する苦味やバーニング感を抑えて風味を向上させる」とは,単物質であるアルコールの単一の風味を希釈等により損なうことなく,苦味やバーニング感という不快な感覚のみを抑えて,アルコール飲料全体の風味を向上させることを意味する。 |
本件明細書中,「アルコールの軽やか風味」の意味を端的に説明する記載は,見られない。 本件明細書中,シュクラロースを添加したアルコール水溶液又はアルコール飲料に関し,「好ましい味」に関する記載はあるが,これが「軽やか風味」に該当するものと直ちにいうことはできず,両者の関係は不明である。 被告は,「アルコールの軽やか風味」とは,その単一の風味を形容した呼称にすぎない旨主張するが、証拠によれば、アルコールが複数の風味を有することは周知であるため採用できない。 本件明細書上,香り又はにおいに関する記載は,一切見られず、また明細書の記載によれば「軽やかな風味」は味覚に関わるものと解するのが自然であるため、「アルコールの軽やか風味」について「香り」と解することはできない。 本件明細書おいては,シュクラロースの添加が,アルコールの有する複数の風味のうち苦味及びバーニング感のみを特異的に抑えることまでは確認されておらず,しかも,「アルコールの軽やか風味を生かしたまま」であるか否かは明らかにされていない。 本件明細書では,「アルコールの軽やか風味」,「苦味」及び「バーニング感」の関係は不明であるため、「苦味」及び「バーニング感」の抑制によって,「アルコールの軽やか風味を生かす」という効果がもたらされるか否かは不明である。 |
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(取消事由2) 「バーニング感」、「軽やか風味」の用語の意味が不明瞭である以上,当業者がアルコール飲料の「風味向上」のために添加すべきシュクラロースの量を決定することは,不可能である。
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※省略 |
「アルコールの軽やか風味」という用語の意味が不明瞭であることから,当業者において,「アルコールの軽やか風味を生かしたまま,アルコールに起因する苦味やバーニング感を抑えて,アルコール飲料の風味を 向上する」ために必要なシュクラロースの添加量を決めることは不可能といわざるを得ない。 |
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考察 |
(1)本判決は、発明の目的を説明する記載中の用語の意味の明瞭性が、実施可能要件の判断において問題となることを示している。これは、平成6年改正前特許法36条4項の「前項第三号の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」との規定に沿ったものである。現行法では、「発明の目的、構成及び効果」との文言は削除されているが、これは現行法ではあらゆる発明について目的、構成及び効果を記載することを求めるものではないことによる。 (2)本判決では、「バーニング感」及び「軽やか風味」という二つの用語が問題となっているが、「バーニング感」については明瞭であると判断され、「軽やか風味」については不明瞭であると判断されている。このように判断が分かれた理由を検討することで、用語の明瞭性の判断についての、一つの指針が得られると考える。 「バーニング感」については、明細書中で「口腔内が焼け付くような感覚」と説明されているとともに、官能試験によって評価可能な事項であることが示されている。また、本判決では、証拠に基づいて、アルコールの味覚を火による燃焼を連想させる言葉で表現することは、少なくともアルコールに接する者の間ではさほど珍しいことではないと認定されている。このように、明細書中で用語に関する説明があることと、証拠に基づく客観的な判断が可能であったことから、明瞭性が認められたと考えられる。 一方、「軽やか風味」については、明細書中で明確な用語の説明がなく、官能試験による評価もされていない。また、「軽やか風味」が何かを客観的に判断できるような証拠も提示されていない。そのような状況で、被告は「軽やか風味」の意味を明らかにすることを試みているが、明瞭であるとは認められなかった。 以上により、用語の明瞭性については、明細書中の説明と、証拠等に基づく客観的な判断とのうち、少なくとも一方が必要であると考えられる。 なお、本件においては、上記の通り官能試験による評価が存在することが重視されているが、これは、「バーニング感」及び「軽やか風味」という用語が、人の感覚に訴える事項を説明するものだからであろう。このような用語については、その意味が説明されていても、発明の目的に係る用語である以上、官能試験などで客観的に評価可能な事項であることが裏付けられていなければ、明瞭性は認められにくいと思われる。 (3)本件における、実施可能要件違反の回避の可能性について、検討する。上記の通り、本件では、「軽やか風味」という用語の意味を特定するための根拠は存在しない。そのため、「軽やか風味」の用語の明瞭性が認められる見込みは、ほとんど無いと思われる。 では、明細書の訂正により実施可能要件違反を解消する余地はあるだろうか。例えば「軽やか風味」に関する記載を削除したり、単に「風味」と変更したりすれば、不明瞭さは解消されるように思われる。しかし、発明の目的に係る記載を削除したり変更したりすることは、新規事項の追加、又は特許請求の範囲の実質上の拡張又は変更とみなされて、認められない可能性が高いと考える。 なお、本判決によって再開された審判手続では、被告(審判被請求人)はアルコールの軽やかな風味に関し、「アルコール濃度を低下させることなく、すなわちアルコールの軽やかな風味を生かして」などとする訂正をしているが、アルコール濃度を低下させないことと、アルコールの軽やかな風味を生かすことが同義であることが明細書に記載されていないことなどを理由に、認められなかった。 (4)本判決によって、用語の選択、特に発明の目的等に係る用語の選択は慎重に行うべきであることが、改めて確認できた。 確かに本件のように、発明の目的、効果等を表す用語として、人の感覚に訴える事項に関するものを使用しなければならない場合には、辞書などに掲載されている用語や、客観的に明瞭な用語を常に使用できるとは限らない。そのような場合でも、本判決を鑑みると、明細書中に用語の説明を記載すること、その用語で説明される効果等が一般に認識可能であるとともに客観的に評価可能であることを官能試験等で明らかにすること、などによって、可能な限り用語に明瞭性を付与すべきであろう。
以上 |